2007年10月01日

調和の道へ

誰かや自然を犠牲にしてる上に自分たちの暮らしが成り立っている、そう知ることはうれしいことではありません。これは、人間が「自分さえよければいい」というふうに思ってるわけではないから、うれしくない、ということなんだろうな、と、そう思うんです。けれど現在の生活レベルを成たたせている快適さや便利さ。これは失いたくない。とすれと、何も変わらない。それなら、寝覚めが悪くなった分、知ってしまっただけ、損。「うすうす分かっちゃいるけれど・・でもね」そんなどよよ〜んとした、割り切れない、すっきりしない気分が結構蔓延しています。

どよよ〜んとしてしまうのは、なぜなのでしょうか。「ほかに選択肢がない」という行き詰まり感とも関係あるのではないかと思うのです。けれど、本当に「ほかに選択肢がない」のでしょうか?

まずは散らかってる部屋を片付けるようにして、本当に必要なことと無駄なこととを、切り分けて考えてみませんか? いらないことをやめてみたり、もっと身近なかわりのものに置き換えてみたり、できないでしょうか? 私たちひとりひとりは、そんなに多くのことや贅沢を望んでいるわけではない。家族が幸せでいて、生活がまわっていければいいと思っています。なにか利権があったり、すごく儲かることがあるわけではない。なのに、お金のために、利権のために、なにかを犠牲にするシステムにのせられている。そんなことに加担したいと思ってないのに。

望んでないこと、いらないことはなんなのか。本当に望んでいるのはどんなことなのか。まずはそこから、考えてみませんか? 目先のことにとらわれず、時間のスパンを長〜くすると、よく見えてくることもあります。こどもたちのその次の世代にまで渡せる世の中に、したいですよね。

すぐに結果が出なくても、あせらずに。何世代かかけてこうなってきたのだから、そうすぐにパッとは変わらないかもしれない。けれど、私たちがあきらめてしまっては、何も変わらないことだけは事実。こうあってほしい、と願うことは、祈ることは、私たちひとりひとりに与えられた最大の自由。それがすぐにできなくても。こどもたちにも、その願いや祈りを継いでいきたい。そして、その願いや祈りを現実のものにしていくために、自分にできるはたらきができたら、小さなことでもいやってみよう。そんな風に考えたいと思うのです。

みんなが思えば、変わっていく。それはたしかなことです。この映画を家で、ひとりで見るのではなく、劇場で、この地域のたくさんのひとたちと見ることの意味は、そこにあると思っているのです。ひとりひとりの心の共感のさざ波が、よりよい未来をつくっていくことにつながりますように。(よは)
posted by 68 at 14:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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