人間はず〜〜っと、地球をタマネギにたとえたら、表面のほんの薄皮一枚で生きてきました。暖をとり、生活に必要なものをつくるのに必要なエネルギも、そこでまかなって。ところが、今から200年前までいかない、産業革命の頃から、地面を掘って、石炭を取り出し、燃料として用いるようになりました。埋蔵エネルギーの発見ですね。
ネイティブアメリカンの間では「母なる大地の中に手をつけてはいけない」ということが言い伝えられているそうです。ほかの先住民にも、似たような表現があります。大地がお母さんだとしたら、そのおなかをえぐるようなものですから。鍬で耕すことすら避け、地中に棒をさしてそこにとうもろこしの種を落とす、そんな農法にもそのような根拠があるのです。
「母なる大地から掘り出したもの」が燃焼効率のいいエネルギーとなって、現代を支えています。黒い排煙をたくさん出していた石炭に変わって、石油が、そしてそれに変わってウランが、用いられるようになりました。でも、起源を考えてみてください。石炭は、昔の植物が何億年も堆積してできたもの。石油は、大昔の動物が何十億年も堆積してできたもの。ウランにいたっては、地球ができた45億年前からあるものだといいます。これだけの時間がぎゅっ!と、詰まっているのです。
石油を精製する技術ができてから150年も経っていないのに、石油資源の枯渇がいわれるようになって、もう何十年も経ちます。そのために戦争すら起きているのです。何億年という単位で地中に眠って来たものを、あっという間に解き放って、エネルギーを得られるのはよかったのですが、同時によくない副産物をも生んでいる。石油からつくられるプラスチックは地に還らず、燃焼する過程で出る二酸化炭素は地球温暖化を急速に進めるのです。
火力かわりとして期待されている原子力発電はどうなのでしょうか? 解き放つ時間の堆積としては、石油とくらべものにならないほど長いウラン。エネルギーとともにもたらすリスクは、放射能。すべてのいのちを内側からこわしていくものです。ネイティブアメリカンの人が呼びかけて、東京から広島までを歩く「ピースウォーク」がありました。インディアン居留地には、ウラン鉱山があります。多くのネイティブアメリカンの人たちが、ウランの露天掘りという仕事に従事し、被曝しています。彼らにとっては「母なる大地をえぐって採ったウランが原爆となって日本に落とされた」ということは、無関係ではないのです。「広島を焦土にした原爆の火を、祈りとともに、ウランを採掘された母なる大地のもとに戻さなくては」というのが、彼らのバランス感覚なのです。
「母なる大地を掘ってはならない」という禁忌には科学的根拠がない、ただの思い込みという人も多いと思います。けれど、実際の結果を見てみれば、その禁忌に手をつけたことによって、さまざまな災いも起きているのです。「母なる大地を掘る」ことによらないエネルギー、「地表にたった今、起きている」エネルギーもいろいろ、あちます。太陽、風、水、波・・時間の凝縮していない、「生鮮エネルギー」で人間の生活をまかなうことを、もういちど考えてみませんか? それが「タマネギの薄皮一枚」に生きる人間の節度・・なのではないでしょうか?